呉下の阿蒙に非ず ~ 読書の秋にちなんで
毎年10月27日から11月9日までの二週間は「秋の読書週間」です。さらに今年は、出版社や書店などが一丸となっての新たな取り組みとして、「秋の読書推進月間」(11月23日まで)が始まりました。期間中は全国の書店でいろいろなイベントが企画されており、先日私がよく利用する書店に立ち寄ったときにも、店内にポスターが掲示されていました。
また、本日11月1日は「本の日」です。日本記念日協会によると、日付の11と1の数字に本が並んでいる様子を見立てているというのが由来だそうで、さらには、想像・創造の力は1冊の本から始まるというメッセージもそこには込められているということです。たしかに1冊の本との出会いによって、私たちはその作家の世界に導かれるだけでなく、かつてその本を読んだであろう見知らぬだれかと感性を共有しています。ジブリ映画「耳をすませば」でも、主人公の少女は図書館の貸し出しカードを通じて思いを膨らませていました。
よく言われることですが、読書には時空を超えた出会いがあります。明治・大正時代の作家である夏目漱石やロシアの文豪ドストエフスキーなど、令和になった日本でもたくさんの愛読者がいます。また、最近では「#BookTok(ブックトック)」と呼ばれる本の紹介動画によって、過去のベストセラーが復活することもあるようです。1冊の本との出会いというのも現代ではさまざまなようで、いろいろな形で私たちの成長を促してくれます。
小説や漫画で有名な『三国志』に、呂蒙(りょもう)という武将が登場します。呉の王である孫権(そんけん)に取り立てられ、魏や蜀との戦いで活躍しました。ちなみに、蜀の名将関羽(かんう)を討ったのは、この呂蒙です。
呂蒙は優れた武将ではありましたが、家が貧しかったこともあり、あいにく学問は身に備わっていませんでした。そんな呂蒙を見かねて、呉王孫権は呂蒙に学問の大切さを説き、読書をすることを勧めました。すると、呂蒙は一念発起して書物を読みあさり、学問に励んだということです。その後、呂蒙は学者顔負けの教養を身につけるに至り、昔の呂蒙を知る人からは、「呉下の阿蒙(あもう)に非ず」と評されたほどでした。
この「呉下の阿蒙」という言葉ですが、「阿」というのは日本語での「~ちゃん」にあたる愛称で、学問の無い呂蒙を子ども扱いしたようなニュアンスがあります。ですから、「呉下の阿蒙に非ず」というのは、「『呉にいた頃の蒙ちゃん』ではないね」といった意味になり、つまり「もはや君は立派な人物だ」と呂蒙を讃えた言葉なのです。
この故事からは、たとえどんなに武勇に優れた人物でも、学識・教養を身につけていない者は周囲から軽んじられていた、ということがわかります。そして、それは平和な時代だけでなく、中国の三国時代のような乱世においても同様で、つまり、どんな時代・世の中であっても、人間にとって「学問をする」ということは大切で必要なことだということなのでしょう。そして、かつてそれは読書を通じて身に備わるものでした。
さて、蛇足ではありますが、先ほどのお話しの続きです。「呉下の阿蒙に非ず」と言われた呂蒙は、その知人にこう答えたそうです。
「士別れて三日なれば、即ち当に刮目(かつもく)して相待すべし」
刮目とは、目をこすってよく見ることをいいます。つまり、呂蒙は「人は、たった三日間会わなかっただけでも、見違えるほど成長するものだ」と言ったのです。
ぜひこの秋は生徒の皆さんも読書に勤しみ、周りの人をびっくりさせるほどの成長を遂げてください。
呂蒙(『增像全圖三國演義』より)