「啐啄の機」 No.25(2023年6月1日)

2023.06.01

どんな結果も、人生の通過点
 
6月に入り、各クラブでは公式戦やコンクールが開催される時期になりました。現在はそれらの大会の運営は公立校に合わせているため、本校では授業のある土曜日に日程が組まれることもあり、そんなときには出場する生徒たちは授業担当の先生方に事情を話し、「公欠願」を提出して出かけて行きます。
 
このように、クラブに所属している生徒たちにとっては、土曜日だったら授業を休んで、また日曜日だったらせっかくの休日にもかかわらず、大会に参加しています。これまで打ち込んできたクラブ活動ですし、特に最上級生にとっては出場できる大会も残り少なくなっていますから、いろいろなことを犠牲にして大会に参加している限りは、悔いを残さないように精一杯頑張ってもらいたいと思っています。
ところで言わずもがなのことですが、こうした大会やコンクールでは、出場者はみな<優勝>を目指しています。けれども、よく言われていることですが勝負というのは残酷なもので、どんなに努力し頑張ったとしても皆が最後まで勝ち残れるわけではありません。そのほとんどはどこかで敗れ去ることになります。つまり全国の大多数のチーム・選手にとって──言葉は悪いですが──大会は負けるために参加するもの、となっています。
 
もっとも、だれもが勝ち続けることができるわけではない、というのなら、我々の歩んでいる人生も同じことです。進路にしても、就職にしても、恋愛にしても、人生は思い通りにいかないことの方が多く、ときには壁に突き当たり、挫けてしまいそうになるときもあります。けれども、本当に大事なことはそれらの経験を自分なりに受け入れて、次のステップに活かすことです。むしろ、「生きる」というのはそうしたことの繰り返しではないでしょうか。
 
折しも先月のNHK大河ドラマでは、三方ヶ原の戦いにおいて徳川家康が武田信玄に大敗を喫する場面が描かれました。後年、江戸幕府を開いた家康は当時のことを振り返って、「今の自分があるのは、三方ヶ原での敗戦があったからだ」と述べたそうです。また、中国では前漢を興した劉邦(高祖)が、好敵手である楚の項羽との戦いに敗れ続けながらも、最後には垓下の戦いによって勝利し天下を手中に収めています。
 
こうしてみると、負けることは決して恥ずかしいことではなく、たとえ挫折の繰り返しであったとしても、それによって人生の価値が下がるものではないといえるでしょう。むしろ数々の困難を乗り越えることで、我々はより尊い人生に至ると言えるかもしれません。なぜなら「負ける」ことはその人の人生においての結果ではなく、たんなる一つの通過点に過ぎないからです。
 
勝つか負けるかはやってみなければわかりません。そして勝っても負けても、それが力を尽くした末の結果であるなら、それは自分自身の成長につながります。生徒の皆さんは、大会も人生も、そんな気持ちで目の前の試練に挑んでいってください! 

ラグビー部の練習風景です。
みんな真剣にボールを追いかけています。