2023.11.01
さて、それから一週間ほど経って、せっかく浴びたマイナスイオンの効果が尽きかけてきた10月下旬のある日のことです。10年以上前の卒業生が生まれたばかりの赤ちゃんを連れて校長室を訪ねて来ました。彼女は高校を卒業した後も折に触れて近況を報告してくれていましたが、ここ数年はコロナもあって足が遠のいていました。
久しぶりに会った彼女は、今ではもうすっかり立派な母親であり社会人(現在は育児休暇中ですが)でした。数年前に大学時代に知り合ったご主人と結婚し、この夏にかわいい赤ちゃんが生まれたそうです。このたび出産を終えてやっと外出ができるようになったので母校に挨拶に来たのだと、とても素敵な笑顔で話してくれました。
校長室で彼女の近況に耳を傾けながら、私は心の中で、彼女が大学受験のときにとても悩んで苦労していたことや、高校の卒業式が東日本大震災のために延期になってしまったことなどを思い出していました。もし、私があの頃に戻ることができるのなら、高校3年生の彼女に会って、「だいじょうぶだよ。これからどんなにたいへんなことがあったとしても、君はきっと幸せになれるよ」と伝えたい気持ちです。
平安時代末期に成立した『実語教』という書物には、次のような一節があります。
──山高きが故に貴からず、樹(き)有るを以て貴しと為す
山の価値は見かけの高さで決まるのではなく、どれだけ樹木が茂っているのかで決まるという意味です。同じことは我々の人生についても言えるのではないでしょうか。もちろん、学歴や富といった目に見える価値も大切ですが、それとともに、その人がどのように自分の人生と向き合い納得できる生き方をしてきたのか、そしてそれがその人自身にどのような魅力となってあらわれているのかということが、とても大事なことのように思います。
ベビーカーの我が子を気遣いながら校門を出て行く彼女の後ろ姿はたいへん頼もしく見えました。彼女ならきっとこれからも力強く人生を歩んでゆくことでしょう。そんな彼女から元気を少し分けてもらったような気がした、とても気持ちの良い秋晴れの一日でした。