「啐啄の機」 No.26(2023年7月1日)

2023.07.01

雨が降っても自分のせい
 
7月になり、すでに沖縄地方では梅雨明けが発表されたものの、関東ではもうしばらく雨模様の天気が続きそうです。じめじめした梅雨の時期は気持ちも晴れず鬱陶しいものですが、かといってその後にくる猛暑の季節を考えると、それはそれでうんざりするのは私だけでしょうか。 

校舎の片隅に咲いた紫陽花です。

「天候」というのは農耕社会にとって重要な要件の一つです。けれどもその一方で、昔から人類にとって思い通りにならないものの代表でもあり、宮沢賢治はそれを「ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ」(『雨ニモマケズ』より)と詠っています。おそらく将来どんなに科学技術が進歩したとしても、天気というのは人類にとってこれからも手に負えないものであり続けることでしょう。

そんな思い通りにならない天気のことを、パナソニックの創業者である松下幸之助氏は「雨が降っても自分のせい」と言いました。もちろん、どんなに大きな会社の社長であったとしても自在に天気を操ることなどできません。ですからこの松下氏の言葉は、「自分を取り巻く環境を嘆くのではなく、ありのままの状況を受け入れて行動することの大切さ」を述べているのだと解釈します。

天気だけでなく、私たちが人生を歩んでいく過程には思い通りにならないことが沢山あります。学生時代なら勉強や進路のこと、また大人になったら仕事や人間関係など、もしかしたら人生というのは思い通りにならないことに満ち溢れているものなのかもしれません。

けれども、そんな思い通りにならない状況を嘆いたり、また他人のせいにしたりしていても、結局は何も変わりません。自分の置かれた環境を、「雨が降っても自分のせい」として受け止めることで、そのなかでいったい自分にできることは何なのかを考えることが、その人にとって前進であり成長への道です。そして、きっとそれが悔いのない人生を送るということなのでしょう。

生きていくなかで、悩んだり行き詰ったりすることは珍しくありません。本校の「人間らしく生きる」という校訓には、そうした苦しみや挫折とどう向き合うのかという心の持ちようも込められています。「雨が降っても自分のせい」という言葉は、その一つの答えのような気がします。